初めての韓国と、ヨットレース【校長について⑤】
なぜBSCのキャンプの多くが「世界をつなぐ」とされているのか、BSCの校長の過去の体験からその理由をご説明します。
「校長について①」を読んでいない方はこちらから
バーデンバーデン再び
1981年9月30日、家でテレビを見ていた。
ドイツ、バーデンバーデンの映像が流れており、懐かしいなーと思っていた。
(1977年イギリスにヨットインストラクターを取りに行ったとき、1ヶ月ほどバーデンバーデンに滞在していた。詳細はこちらから)
7年後の、1988年夏季オリンピック開催地が決定したことを伝えるテレビ番組で、その年は、バーデンバーデンが発表場所だったのだ。
88年の開催地は、名古屋と韓国ソウルの戦いだったが、結果、韓国ソウルがオリンピックの開催を勝ち取った。
そのニュースを見ながら、ふと「韓国でヨットしている人っているのかな?」という疑問が頭をよぎった。
まったく韓国のヨット事情を知らないし、韓国とは縁もゆかりも無かったのに、不思議と隣国のことが心配になった。
オリンピックのヨット種目の大会運営は、開催国の人たちだけでやらなければならないという、決まりがある。
もし韓国でヨットをやっている人がいない場合、どうやって運営するんだ?と不安になったのである。
初めての韓国へ出発!!
その1ヶ月後、10月末に韓国ソウルへ飛ぶ。
初めての韓国行きで下準備もしないで、とりあえずソウル市内でマリンショップなどが無いか探し回る。
3日間ほど街中で聞いて回ったが、ヨットをやっている人は見つからず、あえなく帰国することにした。
朝、ソウル金浦空港に行くと、「To Busan -釜山行き-」の案内板を見つけた。そうだ釜山には海がある。
「このチケットで、ソウル→釜山→大阪に変更できますか?」と空港カウンターに確認すると、ノーマルチケットなので、変更可能だし、どの航空会社を使ってもいいですよ。と言われた。
いざ、釜山へ!!
釜山に到着
その日の16時ごろに釜山空港に到着。
到着後、空港内でゆっくりしていたら、気づけば空港内から人々がいなくなり、タクシーもいなくなってしまった。
え、どうしよう・・・となる。
まずは泊まるところを探そうと、ホテルの看板を探し、電話して「井上で予約お願いします。」と伝える。
「迎えに行きますので、お待ちください」と言われ、1時間ほどするとホテルの車と、日本語のできるスタッフもやってきた。
「日本のお客さんには、日本語のできるスタッフがいつも来てくれるの?」の聞いてみると、「いえ、別の井上さんだと思い、お迎えにあがりました。」と言われる。
話を聞くと、私とは別に、常連客に「井上」という方がいるそうで、その人と勘違いして迎えに来たらしい。
常連のお客さんへのサービスは、かなり手厚いようだ。
まぁ、私としては助かった。
テレビ局での出会い
その人にヨットについて尋ねてみると、テレビでは見たことがあると言った。
「そうか、テレビ局なら詳しい人もいるか」と、地元のテレビ局に行ってみることに決めた。
翌日、MBC釜山放送局を尋ねてみた。
受付嬢に、「社長にお会いしたい」と申し入れた。
紹介もないし、突然だし、今思うと無茶苦茶なことをしているなと思うが、少し待っていると、「どうぞ」と案内してくれた。
社長さんは「何しに来た?」と日本語で質問してきた。
とっさに「88年にオリンピックがあるでしょう。なので、日韓親善のヨットレースをしたい。韓国でヨットをやっている人を紹介してくれ。」と伝える。
社長は「わかった」と言ってくれた。
そこから、4時間にわたり、その社長はいろんな人をテレビ局まで呼びつけ始める。
その多くが、ヨットとは無縁な人々であり、私は釜山でもダメか。これは厳しいなと思っていた。
だが、最後にやってきた青年が社長室に入って来て、私の顔を見るなり、「あなたのことを知っている」と言ってきた。
え、なんで?
韓国に来たのは初めてだし、知り合いもいないけど?
日韓親善ヨット大会の開催決定
すると彼は、「1978年に日本の雑誌にあなたが載っているのを読んだんだよ。」と言ってきた。
1978年ヨット専門誌「舵」に、私の英国ヨットインストラクター資格取得の記事が、顔写真入りで掲載された。
彼は、その本をヨットの勉強のため購入しており、その記事を読んで、私のことを知ってくれていたのだ。
まさか、こんなことがあるのか、、、と驚き、そして嬉しかった。
その青年の名前は、キム・ハンジュンさん。
その夜、語り合う。彼の義理の妹が、大学で日本語学科を卒業しており、通訳してくれた。
翌年1982年8月、釜山で「第1回日韓親善ヨット大会」を開催することで、合意するが最終的には会長に確認するとの話。
彼の所属するヨットクラブ名は五六島ヨットクラブ。社会人10数名で週末活動しており、多くは大学でヨットをしていた人々である。
聞くとキム・ハンジュンさんは自分でヨットを制作していて、備品も自分で作っているのだと。
セイルも自分で作るし、韓国内のヨットは全部自分が制作したらしい。天才だ。
1982年1回親善ヨット大会
1982年8月第1回親善ヨット大会にBSCのヨットクラブからは10名が参加。
レース前日は盛大に歓迎パーティーを開催していただく。
我々はこんなに歓迎していただいたことに感激した。当時、教科書問題で日韓関係は非常に悪かったためである。
この時、はじめて五六島ヨットクラブの会長さんを紹介してもらう。
当時、人権派弁護士として釜山では有名だった方だ。
名前はノ・ムヒョンさん。
第1回日韓親善ヨット大会は、釜山の広安里ビーチから出艇する。
海は、うねりがあり、風も強く、潮の流れも速く琵琶湖とは全く違う環境であった。
ヨットはスナイプクラス二人乗り。
BSCチームと韓国チーム、ヨットレースは互角の戦いであったが、僅差でBSCの優勝であった。
レース後の宴会は、港町釜山の魚料理をたくさん出してもらった。とても美味しく、大変盛り上がり和やかに交流ができた。
翌年はBSCのある琵琶湖で、第2回大会を開催すると、力強く約束した。
第2回大会開催
翌年1983年はノ・ムヒョンさんを団長とし10名で琵琶湖にやってきてくれた。
親善レースの10日前からBSCで、ヨットインストラクター講習を受けることになっていた。
とても熱心に学んでいただいた。韓国のヨット人口拡大を目指し、初心者にヨットを教えていかなければならないという使命感を強く感じた。
オリンピックヨット競技は、開催国の国民のみで競技運営しなければならない。ヨット人口拡大のため、翌年から大韓ヨット協会からの依頼で指導者めざして100名近くヨットを学びにBSCにこられた。