BSCキャンプのバッチについて【校長について③】

なぜBSCのキャンプの多くが「世界をつなぐ」とされているのか、BSCの校長の過去の体験からその理由をご説明します。
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BSCキャンプのバッチの意味

26日間のプログラムが終わり、修了式が行われた。
努力して諦めず頑張った人は、その証明としてOBSのバッチを手にすることができる。

みんながいる前で、一人ずつ、そのバッチを手に取っていく。
これまでの26日間を思い返し、自分は本当にこれを手にするに足りるのかと、少し考える人もいたが、周りのみんなが声をかけ、全員がそのバッチを手にした。

BSCのキャンプでも、キャンプの最終日に、帽子に付けられるバッチをプレゼントしている。
それは、このOBS流の「挑戦した証」なのである。

イギリスでの、ボランティアと音楽鑑賞

26日間のプログラム期間中、奉仕(ボランティア)活動として、老人たちが暮らす施設に伺い、皆さんのお世話や、掃除活動を行なった。これも一つの文化であり、当たり前のこととして行われている。

または、インストラクターの自宅に訪問し、音楽鑑賞もあった。
BSCでもグランドピアノを置いているのは、その時の経験からで、海外から来たコーチが時々演奏してくれるし、ピアノを習っている子供は、みんなの前で演奏したりも。

コーチの会議も週3回あったが、期間中、全く英語がわからなかった。オーストラリア人のインストラクター、パッシー・フレーザーさんがいつも要約して伝えてくれ、本当に助かった。
ある時、うれしいことを言ってくれたので、パッシーに聞くと、辞書を出して「外交辞令」の単語を指差して見せてきた。「あ、そうなんだ」となった。

OBSに来て4ヶ月ほどが経ち、帰る前日、パッシーの部屋へ招待してもらったのだが、まさかの私の隣の部屋だった。大きな館だったので、全く気付かず。

イギリスで、ヨットインストラクター資格がほしい

帰国前に、ロンドン市内にある「RYA(ロイヤル・ヨッティング・アソシエーション)」を訪ねて、ヨットインストラクター資格を取りたいと申し入れた。
受付の女性が、電話で上司に確認してくれたのだが、「ジャパニーズジェントルマンが来ているが、英語が上手くないです。どうします?」と言っているようだった。

英語が下手だから、ダメだ。とのことである。
OBSでは、英語がうまくなくともやってこられたが、RYAでは英会話のスキルが求められた。

ヨットの本場、イギリスCowes

大学生の時に、琵琶湖でヨットスクールを始めたが、初心者にどのようにヨットを教えたらいいのか、迷う日々であった。
当時の私のヨット知識、技術は大学の部活で身につけた競技用の物であり、ヨットを楽しんでもらうための知識や技術ではなかったのである。

安全安心に短期間でヨットを身につけて頂き、セーリングを楽しんでもらうためには、やはりヨットの本場イギリスで学びなおすしかないと考えた。それにチャレンジするために、少しずつ英会話も学んでいった。

英国RYAの頂点は、オリンピックでのメダルではある。だが底辺の育成にも、とても力を入れている。
英国は、海洋民族として7つの海に出て行った歴史を持つし、国民の意識の中にヨットなどのマリンスポーツは根付いているといえる。
当時イギリスでは、街から30分以内の場所にヨットクラブ(海辺、湖、川辺)が多数あった。
ヨットクラブではセーリングを楽しむ人々が多かったが、初心者に教えるコーチも多く必要であった。

コーチを育成する機関としてイギリス、ワイト島のNSC(ナショナル・セーリング・センター)が存在していた。
イギリス、ヨーロッパ諸国、ニュージランド、オーストラリア、USAから生徒たちが集まる、セーリングのメッカである。

※ワイト島は、イギリスの南部にある島で、ポーツマスやサウサンプトンなどの有名な街の近くにある。
google mapで見てみると分かるが、多くのヨットが係留されている。

1977年9月、前回、英語が出来なさすぎて断られたRYAにもう一度行くため、イギリスロンドンへやってきた。
本場イギリスでヨットインストラクター資格を取ることへのチャレンジだ。

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