イギリスの冒険学校に出発!【校長について②】

なぜBSCのキャンプの多くが「世界をつなぐ」とされているのか、BSCの校長の過去の体験からその理由をご説明します。
「校長について①」を読んでいない方はこちらから

初めての海外、イギリスへ!!

ジョンからの電報には、来年1975年1月5日に、イギリスデヴォンに来て。と書いてあった。
今から2ヶ月後に来いということだ。
私にとって初めての海外である。

いつ日本を発とうかと考えたが、指定日の1ヶ月前には行かなきゃなと思い、12月初めにイギリスロンドンに向かった。

旧ソ連、アエロフロート航空の飛行機に乗って、モスクワ経由イギリスヒースロー空港行きだ。
今では考えられないが、CAさんに「コックピットに入れてくれ」と言うと、快く入れてくれたし、コックピットの片隅に座らせてくれた。
ゆるやかな時代だなー。

ヒースロー空港に着陸した時、機内では拍手が湧いた。飛行機に乗ることは今みたいに当たり前ではなかったから、飛行機の着陸というのは当時、一大イベントだったのだ。

ジョンから指定された日の1ヶ月前にイギリスに到着し、そこからはロンドンで過ごすことにした。

当時の航空券は、15万円。大卒初任給8万円の時代。
ロンドン市内のホテルは、1泊1ポンド(当時は1ポンド700円くらい)で泊まれたのだ。
1泊700円でも、当時の私にとっては高かった。

ある日、ホテルの受付のお姉さんに「ここ高いから、もっと安い宿紹介してよ。」と聞いてみた。
失礼なお願いだが、彼女は快く新しい宿を教えてくれた。
夕方、彼女が教えてくれた宿へ行こうと、言われた通りの道を進んでいき、その宿が見つかった。
その宿に入ってみたらびっくり、この宿を教えてくれたお姉さんが受付にいたのだ。
2つの宿でバイトをしていたんだと。
したたかな女性であった。

イギリスはやはり紳士の国か

ロンドンにいた1ヶ月、街中で日本人を見たことは一度もなかった。
毎日、ロンドン中を歩き回り、地下鉄にもよく乗り、観光名所にはほとんど行ったのだが、
結局ロンドンの街中では一人の日本人も見つからなかった。日本人だけでなく、アジア人すらも全く見当たらなかった。
中東系の人たちは多かった気がする。

ロンドンでの生活の中で、当時の私が驚いたこと。
街中には、日本と同じく多くの公衆電話があった。
どの電話にも行列ができている。そこは当時の日本と変わらずの状況である。
私が驚いたのは、電話を終わった人が皆、また列の最後尾に並んで次の順番を待っていたことだ。
日本だと、自分の順番が回ってくると1回に何度も電話するのが普通だった。
周りの人への気遣いができる人達ばかりで、イギリスはやはりジェントルマンの国なのだと驚き、感動した。

スマホはもちろん、インターネットもなく、海外の情報がほとんどなかった時代、日本とイギリスの文化の違いといった小さな発見が、大きな驚きとなって今でも忘れがたい記憶となっている。

やっとこさOBSデヴォン校に到着

1ヶ月のロンドン生活を終え、1975年1月5日、Outward Bound School Devonに到着。
ついに目的地に到着だ。

DEVON州の位置(ロンドンの西側)

到着して最初に、OBSデヴォン校の学校長との面接があり、色々と質問された。

-ここに来た目的は?
「OBSの哲理を学びに来ました。」答えを事前に準備していた。

-君は英語が出来ないが、大丈夫か?
「目と耳があるから大丈夫。」答えを事前に準備していた。

-給料はないよ
「わかってます。」(寝る部屋も、食事も全部提供されるため、私が払う費用もなかった。金が尽きかけていたし助かった。)

-いつまでいますか?
ここで答えに悩む。長くいたら迷惑だろうし、答えが出なかった。

-もしここが好きになったら1年でも2年でもいてもいいよ
え、いいの?

ジョークにしても、イギリスはすごい国だなーと思った。
このフレーズはその後、自分自身もよく使った。
日本で出会った訪日外国人たち、イギリス人を1ヶ月、カナダ人を3ヶ月、オランダ人を2週間、BSCで預かった。一昔前だが。

結局、イギリスには半年ほどいたが、今でも後悔してる。
2年くらいいればよかったと。

Outward Bound School Devonの校門 (https://www.flickr.com/photos/outwardbounduk/より)

OBSでは、20畳ほどのバス、トイレ付きの部屋で暮らした。週に2回、掃除もしてくれた。
当時スタッフは20名ほどいて、女性のテンポラリ(臨時)インストラクターは、アメリカ、ニュージーランド、オーストラリアなど色々な国籍の人たちだった。
その時の生徒は、120名ほど。皆18〜19歳の高校を卒業して入社前の少年たちだった。

Outward Bound School Devon 校長が住んでいた館 (https://www.flickr.com/photos/outwardbounduk/より)

本場での26日間プログラム

ここでも日本で行われたコースと同じく26日間のプログラムは行われていた。

  • デヴォン州、Dartmoor高原の湿地帯を1週間かけて走破する
  • ソロ(1食で3日間過ごす)
  • Rock climbing:高さ30メートルの岩場
  • Abseiling:ロープで下降する
  • Caving:地下50メートル、長さ1キロの洞窟で5時間も活動する。太陽の光が全くないため、気がおかしくなる。
  • Canoeing,Kayaking:カヌー、カヤック
  • 川下り

川を綱で渡る (https://www.flickr.com/photos/outwardbounduk/より)

すべてのプログラムが、勇気とチームワークを必要とする。

なぜOBSのプログラムは26日間なのだろう。これには理由がある。
その意義は、始めの2週間は、みんな自分を隠して活動できるため、短いコースにしても、なかなか自分は変われないのだそうだ。
2週間を過ぎた頃から、素の自分が出てきて、チームの団結によって物事が解決でき、自分も変われる。

何事にも勇気を持って諦めない力を身に着けることができる。
プログラムは肉体的にもハードである。はじめナヨナヨしていた青年たちも2週間過ぎたころから積極的になり、チーム力が付き、成長していることが分かりはじめた。

次の記事

 

CONTACT 掲載に関するお問い合わせ

まなびち公式SNS