BSCがなぜ国際交流にこだわるのか?校長について①

2020.2.13

BSCでは、夏休みの国際子供サマーキャンプに代表される小学生キャンプや、オーストラリアの高校生のためのホームステイ事業など、日本と海外の国際交流の場となるような取り組みを行なっています。
なぜ、そういった取り組みを行なっているのか。
それは、BSC校長の井上良夫が若い頃に体験した海外での暮らしが大きく関わっています。
キャンプブログにて数回に分けて、校長先生に昔の話を書いてもらいました!
これを読んでいただければ、なぜ小学生キャンプに「世界をつなぐ」というタイトルがついているのかお分りいただけると思います!

「冒険学校」との出会い

私は、大学在学中の1973年に、地元である滋賀県琵琶湖で、ヨットスクールを始めた。
大学のヨット部で身につけたスキルを生業として活かしたかったのだ。
当時は、日本でも多くの人たちが、ヨットを趣味にしていた。
そして、琵琶湖も御多分に洩れず関西から多くの人たちがヨットを楽しみに集まっていたのだ。

ヨットスクールを始めて1年ほどたった頃、19749月に、知人からの依頼で鹿児島県は下甑島(しもこしきじま)で2か月間、ヨットの指導者をすることとなった。
知り合いから、ヨットを鹿児島で教えて欲しいと言われ、飛行機にも乗れるし楽しそうだなーと、出掛けて行ったのだが、いざ鹿児島に着いてみると、そこには外国人の男性がいた。

それが、イギリスの冒険学校OBSとの、本当に運命的な出会いだ。

ヨットを教えてくれと言われていたが、実際に鹿児島についてみると話は少し違った。
日本青年会議所(JC)の青少年育成事業として、イギリスからアウトドアのインストラクターを招聘して日本で初めての26日間にも及ぶOBSパイロット(試験的)コースが開催されるのだという。人里離れた大自然の島で。
私は、そのコースのアシスタントコーチとして呼ばれていたのだ。

下甑島

 

OBSとは?
1941年、イギリスで発祥し、現在33カ国200校近くある冒険学校「Outward Bound School
世界初のアウトドア教育のための短期スクールとして誕生し、日本校も存在する。

 

冒険家ジョン・ウィルス

イギリスからやってきたインストラクターは、ジョン・ウィルスという、オーストラリア人の冒険家だ。インドからイギリスまでをバイクで走破したり、大西洋をヨットで横断したりととんでもない冒険家であった。

なぜジョンが日本に来ることになったのか。

ジョンをイギリスのOBSへ招聘したJCのIさんという人だ。
彼が以前、イギリスのOBSデヴォン校(デヴォンはロンドンから西に250kmほどの州)に見学に行った際、何かのトラブルで部屋の扉の鍵が開かなくなったらしい。その時、隣にいたジョンが、アクション映画のごとく、開かない扉に肩からタックルして無理やり開けてくれたのだそうだ。

その時、「あ、この人を日本に連れてこよう」と思ったんだと。
よくわからないけど、なんとなく納得できる。直感は大事である。

そのジョンと共に、パイロットコース開催1ヶ月前からの事前準備も合わせて2ヶ月を過ごすことになった。
外国人と接したこともなく、英語も全く理解できない中、とても刺激的な日々であった。
今では、街中に外国人が当たり前にいる時代だが、70年代の訪日外国人は、年間70万人くらい。(2019年は3133万人)

 

26日間プログラム、スタート

OBSパイロットコースは26日間泊まり込みのプログラムである。
参加者は、全国から企業派遣できている若者たち20名。
彼らは、よくわからないけど会社から研修に行ってこいと言われて、強制的に連れてこられた人たちだ。
アウトドアの経験者も、もちろんいなかった。

テント泊、ソロ(1食、水のみで3日間過ごす。時計もなし。他のメンバーが確認できないくらい離れて過ごす。)、ロープスコース、グループでの山登り、セーリング、ロッククライミング、アブセーリング(岩山をロープで降りる)、釣った魚で夕食作りといったプログラムを26日間かけて、こなしていく。

OBSコースの入校式のため、串木野港からフェリーに乗って下甑島の港に向かう。
そこから小型船に乗り換え、島のキャンプ地近くまで移動すると、全員がパンツ一丁になり、船から海に飛び込み泳いで島に上陸した。これぞOBSのスタートである。
BSCのサマーキャンプでも、船に乗って琵琶湖で遊んだ後、浜の近くまで帰ってきたら、子供達には船から飛び込み泳いで浜に帰ってもらう。泳ぎが苦手でも、ライフジャケットを着ているから問題ない。OBS流である。

BSCはこんな感じ

そこからは、コース期間中、ずっとテント暮らしである。
今みたいに、優雅にグランピングという時代ではない。風呂にも入らず、一日中アウトドアプログラムをこなしていくのだ。
私はセーリングを中心に指導を行なった。

毎日の朝礼では、ジョンが自己とグループとの関わり方、その中での自己成長などの話をしてくれた。こちらは英語が理解できないので、通訳をしてくれる人もいた。

通訳をしてくれていたのは、日本人のS氏。プロのカメラマンであり、このプログラムでは、記念撮影と通訳を担当していた。
S氏は、1960年代ニューヨークでカメラマンとして10年以上仕事をしていた。彼のニューヨーク暮らしの話は、刺激的だった。
NYの彼の部屋には、7つの鍵をつけており、枕の下には拳銃を置いて寝ていたそうだ。
驚いた、日本では考えられない話。

期間中、OBSってすごいなーと思った出来事がある。
ジョンが、下甑島から鹿児島市内に用事で出かけた時のことだ。
帰ってくる予定の日、海は大きく荒れており、市内と島を結ぶフェリーが欠航となった。
私は、「どうするのかなー」と思っていたのだが、
Iさんが、「ヘリコプターをチャーターした」と言ってきた。
え、そうやって連れ戻すの?と衝撃を受けた。
めちゃくちゃワイルドだな、と。。。

OBSパイロットコース、アシスタントコーチの記念楯

 

You can come to DEVON on 5th January

私は、2ヶ月間の生活で、すっかりOBSに取り憑かれてしまった。
ある夜、ジョンに「OBSのイギリス校で使ってくれないか?」とお願いした。

-OBSのフィロソフィ- 
To Serve To Strive Not To Yield
奉仕 努力 不屈
「大人が子どもたちに考え方を強いるのは間違っている。しかし、経験を強いるのは義務である」
Outward Boundの創始者・Kurt Hahn(クルト・ハーン)の言葉です。
人がどう生きるかは、自ら気づくものであり、大人が植えつけたり教えたりするようなことではない。
大人がすべきことは、より深く強い体験をする機会を与えることであるとクルトハーンは信じて、様々な教育活動を実践してきました。

これを実践しているイギリスの学校に行きたいと強く思った。
ジョンは、「Yoshiはプロだから大丈夫。イギリス、デヴォンに帰って許可をもらってくる。」と答えてくれた。

ジョンがイギリスに帰ってすぐ。
11月半ばにジョンから電報を受け取る。

 

You can come to Devon on 5th January

 

ついにイギリスに行くことができる!!
初めての海外だ。
来年の1月にイギリス、デヴォンのOBSへ!
英語は全くできないけど。

 

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